大阪暮らし

設計開発業務@メーカー4〜崩壊期編〜

2021年8月28日

限界爆発!こばけんです

 

共働き子育てで目まぐるしい日々を送っていたのですが、ついに我が家のキャパが崩壊しました。戸愚呂120%状態です。100%を超えた歪みでペッタンコになってしまいました。

今回は、その崩壊への歩みをご紹介していきます。

 

toguro120

出典:集英社“幽遊白書”より

 

30才頃(入社7・8年目)油が乗ってくる世代。任せられる仕事の重みの増大

入社7・8年目というと、立派な“中堅社員”ですね。

“若手社員”時代よりも明らかにワンステップ上の仕事を任されます。

それは若手よりも経験値がある分、仕事処理能力が高いので、当たり前ですが、問題は同時に育児負荷も上がっていることです。

育児と仕事の両立に悩まされる30才頃の方は多いと思います。若手が乗り越えるべきハードルとはレベルが違います。

 

具体的に、私が仕事面でぶち当たったハードルは、コロナ対応緊急プロジェクトでした。2ヶ月で新機種開発を終わらせて、その派生機種2機種をさらに2ヶ月で開発、計画立て〜仕様決め〜生産拠点とのやりとり全般を任されました。

 

緊急プロジェクトなので、通常開発ではあり得ない短納期でした。さらに、その開発機は中国で生産するので、中国の生産拠点および工場とのやりとりがメインでした。

中国語ワカラナイ、なんかガーガー言われている感じコワイ、、、

 

本来であれば、生産立ち上げの大詰めは、現地に出向いて詰めるのですが、コロナで海外渡航禁止だったので、現地にはいけず、TEAMSや電話会議などで画面越しに生産現場を確認するなどしかできず、大変でした。

中国とのネットがたまにムッチャ遅いんです。。。

なかなか思うようにできず、生産直前に問題が多発しました。その問題解決に即時対応〜解決策立案し生産仕様に適用するという目まぐるしい日々でした。

とにかく関連部門に対応を即連絡し、無理をお願いして回るという。。。

全社的に全力で勝負をかけているプロジェクトだったので、営業活動も生産前からガシガシやっていて、絶対に生産時期を送らせないプレッシャーも半端なかったです(汗)

 

更に辛かったのが、開発期間が超短期だったので、自分自身満足いくレベルまで作り込みできなかったことです。正直、これで仕事が嫌になった。。

 

会社(上層部)が求めるレベルと自分のレベルに大きな乖離を感じた時、人はプレッシャーで押しつぶされてしまう。少しの乖離なら頑張れてプラスに働くが、大きければただの絶望です。

例えるならば、

大阪から東京まで今日中に車で行ってきて♪って言われたら頑張るけど、

歩いて行ってきて♪って言われる時の絶望感と「できるわけないやん!」っていう不信感。

みたいなものです。。

 

とにかく、この時に仕事に対する臨界点を迎えました。

 

家族がすれ違う、潤いのない日々

仕事が溢れて、深夜帰宅の日々が続きました。。

当然、そのしわ寄せが家庭にきます。しわくちゃよぼよぼライフです(汗)

 

最悪だったのが、コロナ影響の波を受けて、妻の仕事もとても忙しくなったのです。今まで自分が忙しかった分、フォローしてもらっていたのですが、それも出来なくなってきたのです。

 

しかも、コロナなので、今まで通り両親に子供の面倒を見てもらうことも出来ませんでした。

保育園は濃厚接触の嵐なので、いつコロナをもらってくるか分からなかったからです。

 

一週間のうち、保育園の迎えは、妻が4日で私が1日という感じでした。送りはその逆で、妻が1日、私が4日。

妻は朝、皆が起床する前(6時ごろ)に出社し、

私は夜、皆が寝た後(24時ごろ)に帰宅。

つまり、完全にすれ違いの生活でした。

また、保育園のお迎えは常に延長保育の19時30分ギリギリで、いつも二人しか残っていない状況でした。今振り返ると、子供たちにとても寂しい思いをさせてしまっていました。せめてもの救いは姉妹二人だったので、一人ではなかったことぐらいでした。。

 

そんな生活が半年ほど続きました。

そして、子供にも悪影響が出始めたのです。おねしょや夜泣きが増えました。朝ごはんもゆっくり食べる時間もなく、泣いても保育園に放り込む毎日みたいになっていました。。

いよいよこんな生活を続けていたら、罪なき子供の人生も狂わしてしまうかもしれないという危機感を感じました。

 

爆発の瞬間

そして、ついにその時を迎えます。

仕事のプロジェクトは何とか終わったのですが、私の糸がプツンと切れてしまいました。

プロジェクトが終わると、それまで抱え込んでいた緊張も解き放たれて、一気に抑え込んでいた感情が溢れたのだと思います。

 

このままでは会社に搾り取られて、体を壊してしまう。というか、会社はそれでいいって思ってるんだろうな~という不信感が強くなっていました。

上司にお願いして、忙しさがマシな部署への異動を懇願しました。

おそらく、緊急プロジェクトをやりきった直後なので、同情や罪悪感もあったのか、すぐに異動が決まりました。

ここにはとても感謝しています。

 

正直、転職も考えました。ですが、自分が持っているスキルでは、同業他社に行くしかありませんでした。

勿論まったくの異業種に転職してもいいのですが、今までの経験をあまり活かせない所に行くと、待遇(給料など)は悪化する可能性が高く、あまり得策ではないと思いました。

その時に、「自分はこの会社に依存して生きている。会社から離れると大した人間ではない」と感じ、虚しくなりました。

 

ですので、自分の力・スキルで生き抜いていける力を身に着けたい!!と強く思うようになりました。

どうやったら自分の力で生きていける?と考えた時に、

田舎で暮らしたい!って思うようになったのです。

これは、「脱・マッチョな資本主義⇒里山資本主義」を唱えていた、藻谷浩介さんの著書を読んで、これぞ私の新しい人生のバイブルだ!!と直感しました。

里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く

 

是非みなさんにも読んでいただきたいと思います。

 

次回記事はこちら↓↓ ついに退職することに至りました。

ありがとうございました。

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こばけん

32才で大阪のメーカーを退職し、林業の世界に転職。 里山資源を活用した半林半Xな暮らしをするために地方移住。

林業が「自分の力で生きる」うえで最強だと思っている。 里山暮らしや林業の日常を発信しています♪

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