こんにちは、真庭で「令和の百姓」を目指して奮闘中のこばけんです。
昨日は集落の皆さんと一緒に、田んぼの「水路掃除(泥上げ)」を行いました。
今は全身がバキバキの筋肉痛ですが、この過酷な作業を通じて、稲作の奥にある「真の役割」を肌で感じることになりました。

山の「天然水」で生きるということ
私たちの集落では、ダムから水を取っているわけではありません。
集落の最奥にある滝や各谷から流れてくる、いわば「山の天然水」を水路で分配して田んぼに引き入れています。
山の水で米づくりをしているとダイレクトに恩恵を感じることができます☺️
集落の源流の滝!
この水で米づくりをしている。
山守りとして、この滝の上流部の森を守ることが自分の役割🔥 pic.twitter.com/qwgn2fRXLw— こばけん| 真庭市地域おこし協力隊✖︎林業 (@5884kenta) April 27, 2026
しかし、この天然水には代償があります。
大雨が降ると山から濁流とともに土砂や石が流れ込み、水路を埋めてしまうのです。
この土砂を取り除かないことには、田んぼに水を通すことができません。
理屈では分かっていましたが、実際にスコップを手に泥を掘り上げる作業は、想像を絶する重労働でした。
美しい田園風景を支える「高齢の現役農家」たち
驚いたのは、その作業を支えているメンバーの年齢層です。
中心となっているのは70代、中には80代の方までもが現役で体に鞭を打ち、泥を掘り上げていました。
田んぼに水を張るために、年に一度の水路掃除!
水路がビッシリ泥で埋まっており、ひたすらスコップでユンボのバケツにかき上げて捨てるという肉体労働。
田舎の米づくりはこういう努力に支えられているんです。 pic.twitter.com/8Cn4zPFXKS
— こばけん| 真庭市地域おこし協力隊✖︎林業 (@5884kenta) April 27, 2026
都会で見る美しい田舎の風景は、こうした農家の方々の過酷な労働によって、まさに「死守」されているのが現実です。
若者がもっとこの場に参加しなければならないと、強く危機感を覚えました。
大雨が降ると、山からの土砂が水路に流れて溜まってしまう。その泥を掃除しないと田んぼに水が入ってこない。
集落で田んぼの管理している皆でその泥を掻き出す作業頑張ってます🔥 pic.twitter.com/Qf2h2eQ9Yx
— こばけん| 真庭市地域おこし協力隊✖︎林業 (@5884kenta) April 27, 2026
お米作りは「集落の安全」に直結している
今回、一番の気づきだったのは、水路掃除が単にお米を作るための準備ではないということです。
もし水路が土砂で詰まったまま放置されれば、行き場を失った水が溢れ出し、最悪の場合は土砂災害や洪水を引き起こす原因になります。
つまり、田んぼを世話し、水路を管理し続けることは、「集落を災害から守る」という防災の役割を担っているのです。
百姓という仕事は、食料を作るだけでなく、人々の命と暮らしの安全を守る土台なのだと改めて痛感しました。
山守(やまもり)として、100年先の負担を減らしたい
私は現在、地域おこし協力隊として「里山林業の再生」に取り組んでいます。
山守の視点で見ると、これほど水路に泥が溜まるのは、森が不健全になっているサインでもあると思います。
下草がしっかりと生え、雨が降っても土砂が流れ出ないような「健全な森」であれば、これほど水路が詰まることはないはずです。
山守りが間伐を行い、光を入れ、豊かな森を作ることができれば、毎年の水路掃除の負担を少しずつ減らしていくことができるかもしれません。
お米作りも、森作りも、すべては一本の線で繋がっています。
豊かな流域と、そこに暮らす人々の安全を守るために。
私はこれからも「山守り」であり「百姓」として、この泥臭くも尊い仕事に全力で向き合っていきたいと思います!
